コラム

「会社のため」を優先する行動の呪縛を解く!?

世界で活躍する日本人リーダーの現場行動
~思考と行動をアップグレードする~

第21回
「会社のため」を優先する行動の呪縛を解く!?

日本の企業社会では「会社のため」に働くことが「自分のため」に働くことよりも優先され、通常、それが何の疑いもなく常識的な行動と見なされています。素朴な問いかけですが、なぜ、日本人は「会社のため」を優先するようになったのでしょうか?
答えは、バブル崩壊までの右肩上がりの時代に一般慣行として定着した終身雇用が「会社のため」を優先する行動を求めてきたのです。終身雇用的慣行のもとでは、本質的に、会社は社員に「(定年までの)雇用の保障」をGIVEし、社員から「長期貢献」と「(やりたいことができない場合の)辛抱や我慢」をTAKEすることになります。このため、日本人は会社に入社すると同時に、会社に対する忠誠心と個人を犠牲にしても会社に尽くす行動を求められるのですが、このGIVE&TAKEの関係のもとでは、大変理にかなったことといえます。
しかし一方で、バブル崩壊後は会社が社員にGIVEしてきた「雇用の保障」の形が崩れてきました。正社員の給与が定年まで上がり続けることはなくなりましたし、定年を待たずして早期退職優遇制度などのリストラが実行される確率も高くなりました。つまり、従来のGIVEが不安定になったのです。にもかかわらず、多くの日本人サラリーパーソンが「会社のため」を優先して行動し続けることは、世界のレンズから見ると大変不思議なことで、日本人がお人よしに見えてしまっても仕方ありません。
海外では、会社は社員に「役職」と「(それに相応しい)報酬」をGIVEし、社員からは「成果」をTAKEします。海外の会社が社員に「雇用の保障」をGIVEすることはまずありません。ですから、社員は「会社のため」に忠誠心をもって働くことを優先する必要がないという理屈になるのです。
中国では、改革開放後、たくさんの会社が設立されましたが、同時にたくさんの会社が倒産しています。中国の情報統制上、この事実に関わる中国メディアの報道は少ないですが、実際のところ、中国人は肌身に感じているのです。そのため、中国の家庭では、親は子供に「会社はいつ倒産するかわからないので信用してはいけません」「自分を信じて生きていきなさい」「自分の市場価値を上げて自分を守りなさい」と教育します。もちろん、国も信じていないと思います。苦笑。さらに、日本のような強い解雇規制を伴う終身雇用的慣行もありません。したがって、中国人は「自分のため」に働くことを優先し、会社は自分の価値を上げるためのひとつの場にしかすぎないと認識します。この行動原則は、実は、中国だけでなく米国をはじめとする世界のほとんどの国で「常識的」なのです。
中国の日系企業で現場の中国人同士が責任を押し付け合い、お互いに協力して問題を解決しようとしないことがよくあります。このとき、日本人が中国人の当事者たちに「会社のため」という考え方もって協力して問題を解決しないと顧客に迷惑がかかるでしょ?!と注意しても中国人にはなかなか響きません。仕事は上司との関係の中で「自分のため」にすることが常識なのでピンとこないのです。したがって、日本人はこのような行動原則の根本的な「違い」を正しく理解したうえで、日本とは異なる考え方と行動で中国人に問題解決をさせなければいけないのです。
昨年のサッカーアジアカップで日本代表(ザックジャパン)が優勝した直後、本田選手がインタビューを受けたときのことです。「いやー、日本のために、ザックジャパンのために優勝できてよかったですね!一言頂けますか?」の質問に、3秒ほど考えた後、「・・・というよりも、自分のために勝ててよかったです!」と彼は素直に答えました。「自分のため」がタブー視されている日本の社会では「印象の悪い」回答です。しかし、この答えは本モノのグローバル人材ならではの答えだと思います。表面的に「チームのため」という“受けのよい”表現をする選手でもプロ意識の高い選手であれば根本には強い「自分のため」という考え方が強くあるのです。日本のビジネス界においても、組織人として表向きは「組織のため」という表現をしても、「自分のため」の目標を決め自分の価値を上げる努力をする日本人こそが、外国人と感度を合わせて互角に仕事ができるグローバル人材だと思います。

日本人の集団力は世界一か?

世界で活躍する日本人リーダーの現場行動
~思考と行動をアップグレードする~

第20回
日本人の集団力は世界一か?

日本人の集団力はお家芸(=最も得意とすること)であるとはいえますが、世界で一番とはいえません。仮に、集団力とは同調力である、と定義すれば、日本人の集団力は世界一でしょう。笑。

かつて、日本企業の集団力が世界市場を席巻した時代があります。バブル崩壊までのいわゆる右肩上がりの時代です。バブル最盛期の80年代後半は、まさにJapan As No.1でした。経済の勢いがあったのは事実ですが、それ以上に、日本企業で働く人のメンタリティーと行動による集団力が日本企業を“世界一”に導いていたのです。私はその集団力を「世界を驚かせた摩訶不思議な集団力」とよんでいます。世界で類稀な「定年まで給与が上がり続けることを前提とした終身雇用」「年功序列」という慣行、そして、「会社と社員は運命共同体である」という思想が作る“不自然”で半ば“宗教的な”「安心感」がとてつもないパワーをもつ不思議な集団力を生み出し、日本企業を“世界一”に押し上げたのです。

バブル崩壊後、多くの日本企業は失速し、約20年間、輝く出口を探しながら迷走してきました。過去の成功は人の記憶と心に深く残り続け、当時の集団力の「前提」が崩れた今でもまだ、「(あの時の)集団力で勝負できる」と考える人が少なからずいるのは驚きです。この考え方では世界で戦うことは難しいです。

どんな組織でも集団での成果を追求している限り、そのための集団力は必要になります。では、世界で戦う「集団力」をもつうえで、今、何が決定的に欠けているのでしょうか?
答えは「個人力」です。日本企業で働く人、スポーツ選手に関わらず、ひとりひとりのレベルで「個人力」を強めなければいけないのです。そして、強い「個人力」をベースとした「集団力」を最大化できるリーダーを作らなければいけないのです。

女子日本代表(=なでしこジャパン)はワールドカップで世界一という快挙を達成しました。男子日本代表(=現ザックジャパン)はアジアカップでは優勝しましたが、世界のレベルにはあと一歩です。サッカーの「集団力」は着実に世界レベルに近づいています。強い個人力ベースの集団を率いるリーダーがいれば、残りの課題はひとりひとりの選手の「個人力」強化でしょう。

日本の企業社会において、個人力が低い人たちが集まった組織には協調性や同調性が高い人が多いため、組織を「まとめる」ことはさほど難しくありません。したがって、このような組織をまとめる人は、「リーダー」ではなく「コーディネーター(=調整役)」で十分なのです。ただ、よほどの偶然性や希少性が伴わない限り、このような組織の集団力は世界では通用しません。

他方、個人力が高い人たちが集まった組織には尖った人が多く、リーダーの仕事は大変です。「君はどう思う?」「じゃあ、あなたはどうですか?」をリーダーが繰り返していては、自己主張の嵐が吹き荒れ結論が出ません。このような組織では、リーダーが方針や考えを明確に表現し、それについてひとりひとりが自分の意見を言い、お互いにとことん議論し、最後はリーダーが判断して決める、という行動が習慣化されているのです。リーダーと合わずに組織を去る人もいますが、このような組織で育った人には個人力があるので他の組織でも十分生きていくことができるのです。

日本の企業社会では、集団力は尊ばれますが、通常、「強い個人力」は自己の押し出しが強いことから「自己中心」の代名詞のもとでタブー視されています。その結果、人は「空気」を読んで「空気」に支配されるようになり、多くの人は言葉と自己表現を失っていくとともに、所属組織に「命」を預けてしまうことになってしまうのです。

世界で戦うためには、知識、知恵、技術に裏付けられた自信、そして、生命力を伴った個人力が求められることに「気づく」ことこそが、グローバル人材になるための第一歩だといえます。

自己表現する(2)

世界で活躍する日本人リーダーの現場行動
~思考と行動をアップグレードする~

第19回
自己表現する(2)

現在の「和」の解釈が生む「安堵感」V.S.「心の葛藤」
“和を以て貴しとなす”。当時の「和」の解釈(=先月号を参照)と大きく異なり、現在は、「角(カド)を立てず皆と仲良くする」「空気を読んで和を乱さないようにする」「自分の意見を飲みこんで(=殺して)集団の総意や流れに同調し従う」という解釈が一般的です。
その結果、日本企業では、自分を押しださず周囲に同調する行動をとることに「安心感」「安堵感」を抱き、そもそも人間として“不自然な”行動をとることが生きていく術であると信じて疑わない社員の数がそもそも多くなる傾向があります。
雇用不安が深刻化する最近では、日本の大学のキャリア教育でも、今まで以上に企業に好まれる学生創りに焦点が当たり、「周囲に同調することを恥じない」人材育成が基本スタンスになりがちです。
一方で、新卒で入社してからの“一時期”、ひとりの人間として「心の葛藤」を抱えてしまう若手社員が少なからず存在することは皮肉な事実といえます。入社した会社の組織の中では、自然に考えて不思議に感じること、理不尽だと感じること、そして、誰もが疑わない黙示的規範のようなことがたくさんあります。当然のことながら、感覚がまだ自然な多くの若手社員は、それらを受け入れることに違和感を抱きます。しかし、学生時代をとおして自分の見方や考えを率直に表現するための「自己表現力」を鍛えていないため、質問や議論をとおしてこの違和感をなかなか解消することができません。仮に、表現力の高い若手社員が違和感を解消する行動をとっても、周囲の古株社員の表現力が低いため会話が噛み合わないケースも多くあります。その結果、「このままで本当にいいのだろうか?」と最初の数年悩んでしまうことになるのです。

3つの人材タイプ
日本企業で働く若手社員は、このような「心の葛藤」の時期を経て徐々に3つのタイプの人材に分かれていきます。「2・6・2の原則」では、①が6割、②と③が2割というイメージです。
①  感覚が麻痺していく人材
「会社に雇用され続ける」ことが職業人生の大きな動機になる人材です。角を立てず周囲に同調することに心地よさを感じ、徐々に若い頃に感じた素直な「心の葛藤」を「若気の至り」「未熟さ」という言葉で消去していくことになります。
②  同調し同化しない人材
「(されど)自分らしさを失わずに生きる」ことが職業人生の大きな動機になる人材です。同調よりも自分の考えや意見を率直に表現することに重きを置くことになりますので、社内では「変わった奴」というレッテルを貼られやすくなります。あるいは、社内で“損”をしながら生きていくよりも社外に自己実現の場を求め会社を去る人材も一部含まれます。
③  器用に自分を押しだす人材
「会社の中で役職を昇りつめる」ことが職業人生の大きな動機になる人材です。ほとんどのサラリーマンが一度はこの動機を持つことになりますが、その多くは徐々に①のタイプに“静かに”転じていくのが実状です。このタイプの人材は、周囲の人から「行動が姑息だ」というような印象をもたれる“瞬間”もあります。しかし、「上昇志向」を動機に、押し出し、引き際、攻めどころ、守りどころなどの「状況判断力」が優れていることが、昇進という結果の事実につながっていくのです。

海外で活躍できる人材タイプは?
さて、このような3つのタイプの人材が海外拠点に派遣された場合、活躍できる人材はどのタイプでしょうか?答えは、①②③全てのタイプの中にいます。外国人の感覚に最も近く、対等に対話ができそうな人材は②のタイプですが、本社で「変人」扱いされ心が屈折して偏屈になっていないことが海外で活躍できる条件となるでしょう。①と③のタイプは「現在の「和」の解釈にもとづく思考と行動は海外ではうまく機能しないのだ」ということにハッと「気づく」ことが条件になります。③のタイプはそもそも「上昇志向」と「状況判断力」が優れているため、「気づく」確率が高まりますが、①のタイプは一般的に「気づき」に時間がかかるでしょう。しかし、①のタイプは人口が多いので、その変容に大きく期待したいものです。

日本での行動習慣の特徴
日本では「同調すること」は「和を乱さない行動」として認知され、多くの日本人ビジネスパーソンが無意識のうちにこのような行動を習慣として身につけています。会社で優秀とされている③のタイプの人材は機を見計らって器用に自分を押し出しますが、その頻度は低く、さらに、周囲への気遣いが強すぎるため、表現する内容の論理的明快さは必ずしも高いとはいえません。さらに、このタイプが自己表現するときの前提の特徴は「反対されることがほとんどない」ことです。いわゆる「根回し」による結論先にありきの状況を作った上で「賛成票をとりつけるための自己表現」となることが多いのです。従って、出たとこ勝負や乱打戦の議論が始まると途端に発言の少ない物静かな人に化してしまうのです。

海外で求められる行動習慣の特徴
一方で、海外拠点では現地人材と対等な対話をとおして仕事をすることが求められます。そのためには、現地に派遣される日本人ビジネスパーソンは日本で仕事をしていた時と異なり、自分の考えや意見を適切に表現しなければいけません。また、自己表現する頻度も高く、内容も論理的に明快にする必要があります。日本での行動原則が「同調」ですので、そもそも日本人ビジネスパーソンの自己表現力の質は決して高いとはいえません。この事実と実態を踏まえて、日本人ビジネスパーソンは海外に派遣されることが決まった段階、あるいは、それ以前から、「自己表現」の習慣を身につけるべく準備しておくことが大切です。
さらに、海外では、自己表現するときの前提が日本人同士の場合と異なり、「賛成されることもあれば反対されることもある」に変わります。いざという時、ここぞという時に反対されることに慣れていない日本人ビジネスパーソンにとって、この前提に立つことは大変大きなチャレンジになります。場合によっては恐怖感を抱くことにすらなります。
海外では、どれだけ適切に自己表現できたか?様々な質問に対してどれだけ適切に回答し説得できたか?多様な考えや意見を引き出し、そして、とりまとめ、どれだけ納得感の高い合意を形成できたか?というようなことがリーダーとしてリスペクトされるかどうかの決め手になるのです。

グローバル人材教育の根本的な足枷
そもそも、日本人は他国の人と比べて宗教、人種、民族、言語の点で客観的に「同質性」が高いです。そのため、多文化対応力がどうしても低くなってしまうのですが、現在の「和」の解釈は、日本人の「思考と行動」の点においても結果的に「同質性」を高めてしまうことになってしまいます。日本の企業社会でグローバル人材教育が本質的になかなか前進しない大きな原因は、現在の「和」の解釈にあるといえると思います。

自己表現する(1)

世界で活躍する日本人リーダーの現場行動
~思考と行動をアップグレードする~

第18回
自己表現する(1)

聖徳太子の本来の教え
“和を以て貴しとなす”。今から1400年以上前の604年に制定された17条憲法の第1条冒頭にある聖徳太子の言葉です。
現在の日本社会では、通常、この言葉は、「角(カド)を立てず皆と仲良くする」「空気を読んで和を乱さないようにする」「自分の意見を飲みこんで(=殺して)集団の総意や流れに同調し従う」というような「行動」を意味します。さらに、このような行動が日本人的な行動であり、また、美徳であるとさえ考えられています。
しかし、この言葉が初めて使われた当時、本来の意味は現在の解釈とは随分異なっていました。
当時、この言葉は、「そもそも人間は派閥など排他的な集団を作りやすい。その結果、偏った見方や考え方にこだわることになってしまう。これでは全体として理にかなった結論を導き出すことが難しくなる。従って、道理にかなった合意を形成するためには、ひとりひとりがお互いに自由に意見を表現し、話し合いをすることが大変重要である」という意味でした。
現在と当時では、「和」の解釈が違うのです。現在は「集団の総意や流れに従い同調すること」、当時は「私的なこだわりや偏見を捨て、公平・公正に議論すること」です。つまり、当時の「和」とは「和(やわ)らぐ」という意味で、「自分の心で正直に感じたこと考えたことを率直に表現する」という自然の摂理にかなった自然体の行動だったのです。異なる感じ方、考え方をもつ人が集まって自由闊達に議論や討論をし、(皆が賛成できるとは限らないが)結論を導き出し、合意を形成すべきであるという民主主義的な教えであったともいえます。さらに、様々な価値観や考え方をもつ人が一緒に仕事をする上での世界標準的な行動ともいえるのです。

バブル崩壊までの経済成長を支えた現在の「和」の解釈
そもそも、“日本人の精神”は当時の「和」の解釈の中に宿っていたはずなのですが、時代の流れの中で、政治、行政、企業社会の都合に合わせて、本来の意味が現在の解釈に変化していったのでしょう。戦後、日本は所得倍増計画の大方針のもと、欧米に追い付け追い越せのスローガンを掲げ、経済復興を見事に成し遂げました。このプロセスでは、強いリーダーの下での集団力が不可欠でした。「集団の総意や流れに同調し従う」という現在の「和」の解釈は、この集団力を強める手段として大変有効だったのです。実際のところ、“和を以て貴しとなす”という言葉と現在の解釈は、家庭教育、学校教育、企業教育の中でしっかりと浸透し、バブル崩壊までの目覚ましい経済成長を支えてきたといってもよいでしょう。

不確定要素が多い時代こそ、本来の「和」の解釈に回帰すべし
ここでよく考えなければいけないのは、時代の流れです。ざっくり大きく2つに分けると、バブル崩壊前と、バブル崩壊後からリーマンショック、東日本大震災を含めた現在までの2つです。
バブル崩壊前までは経済や企業社会に勢いがありましたので、「大勢や集団の流れに同調する」行動をとっていれば、個人の雇用や収入は守られてきました。当時、終身雇用と年功序列が経営の基盤で、会社と社員は「運命共同体」であるという考え方が一般的でした。この「大前提」のもと、個を殺して集団に同調していれば、結果的に個人の利益は十分保障されていたのです。その「安心感」こそが、当時、世界の人を驚かせ恐れさせた摩訶不思議な集団力を生み出し、事実、日本企業を世界の勝ち組に導いたのです。
しかし、バブル崩壊後から現在に至るまでは、政治、行政に加え、多くの企業も“行き先”を見失って迷走を続け、未だ、夢や希望のある出口を見つけることができない状況が続いています。もちろん、今後の先行きも全く不透明といってよいでしょう。幸い、終身雇用という慣行は日本の大企業を中心に未だ存続していますが、“リストラ”という言葉が定着しているとおり、その「形」は既に大きく変化してきました。収入の右肩上がりはさることながらその安定的確保さえ全社員に対して保障が難しいのが企業の台所事情の実態でしょう。さらに、バブル崩壊前までの社員の「安心感」も大きく薄れ、世界に誇る“お家芸”であった当時の集団力はすっかり陰りを帯びています。
このように不確定要素に溢れる状況下では、特定の集団や組織に依存し同調する行動は大変危険です。ひとりひとりが「自分で考えたことを率直に表現する」行動を強め、“生きた”議論をすることが大切なのです。政治家も官僚も経営者もビジネスパーソンも、“和を以て貴しとなす”の本来の意味に回帰し、遠い昔の“日本人の精神”を取り戻すことが今、とても重要だと思います。

ベースとなる個人力を強める
追い風が吹いている時は、長いものに巻かれながらその風に乗るのも心地よいひとつの方法です。一方で、逆風が吹いている時、出口が見えない不透明感の高い時は、ひとりひとりが地に足をつけて、自分で情報を集め選択し、自分の考えを明確にして表現し行動しなければ前進することは難しいです。また、他人と率直に議論できなければ、偏った考え方にこだわることになり、視界が広がらず、結果、突破口が見つからず前進できなくなります。周囲の人が少しでも前進しているとすると、いつまでも立ち止まっていることは、事実上、相対的に後退を意味することになります。
つまり、時代の流れの中では、集団力が効果的な時もあれば、ひとりひとりの個人力が強く求められる時もあるのです。ただ、本来、集団力のベースは個人力でなければおかしいので、ひとりひとりが個人力を磨き強めることはどんな時代にも求められるのです。常日頃、ものの見方や考え方、行動を鍛えている人こそが、どんな時代でも“本物の”強さを発揮することができるのです。

評価する「基準」をマネジメントする(2)

世界で活躍する日本人リーダーの現場行動
~思考と行動をアップグレードする~

第17回
評価する「基準」をマネジメントする(その2)

今月は、多文化環境で、評価する「基準」をマネジメントするために、日本人マネジメントが新しく習慣として身につけたほうがよい筋のよい思考と行動についてお話します。

説明できる「勘」 V.S .説明できない「勘」
上司が「究極の勘」で部下を評価した場合は、相手にとって納得感のある説明をすることができますが、「いいかげんな勘」の場合は、そのレベルの説明をすることが難しいです。「究極の勘」とは、具体的に言葉で表現することが面倒くさいため敢えて説明せず感覚的に漠と判断しているだけで、説明を求められたら論理的にそれなりの説明ができるものです。一方で、「いいかげんな勘」とは、個人的な好き嫌いの感情、思いこみ、偏見などが影響しているため、説明する側にためらいがあり、適切な説明には至らないものです。
多くの日本企業では、目標管理制度を導入しても「基準」を決める思考と行動が停止しやすく、さらに、目標管理以外の「基準」も決して明確ではないのですが、最終評価や人材の登用には妥当性があるという“奇妙な”現象が起きています。文字とおり説明が大変難しい現象なのですが、「評価する然るべき人」が目標達成度とそれ以外の要素を含め、「究極の勘」で総合的に、あるいは、逆算的に判断していると考えるのが日本企業での評価実務の実態に合っているのだと思います。
しかし、海外拠点や日本本社で外国人をマネージし、多文化環境のもとでリーダーシップを発揮するためには、相手が日本人の場合と異なり、感覚的な漠とした判断を続けるのではなく、「究極の勘」を面倒くさがらず文字と言葉できちんと表現する新しい思考・行動習慣を身につけたほうがよいのです。

考え抜き表現する
まず、海外拠点あるいは日本本社で外国人部下を持つ立場に立てば、自分が「評価する然るべき人」であると認識することが必要です。次に、突き詰めた勘である「究極の勘」を裏付ける「基準」を頭の中から引き出しノートで整理することが大切です。会社として固定的に設定している「行動評価基準」と異なり、特に毎年、期の初めに部下と話しあって合意しなければいけない「目標」は、結果の数字や状態、そのための有効手段や活動について、まず上司として自分で考え抜くことが重要です。そして、相手に論理的にわかりやすく説明ができるレベルまでノートで整理を繰り返すことが大切です。担当する部門や組織は、必ずしも過去に経験した分野だけとは限らず、未経験分野を任されることもあります。ただ、上司の立場に立つと、経験の有無に関わらず、外国人からは基本的に「判断し決める人」と見られますので、日本で勤務しているときと同じように、いつまでも勉強モードを続けることは許されません。緊張感をもって猛烈に勉強し、脳に汗をかきながらでも考え、表現し、発信する行動が求められるのです。

率直に対等に議論する
部下に期待する目標がおおよそノートで整理できたら、それを文字でわかりやすく再整理し、できれば、それを面談前にメールで部下に送り、部下に理解し考える時間を与えておくことがフェアーです。ノートで整理したメモをもとに面談当日に初めて部下に期待することを伝え理解を求めても、なかなか対等な話し合いにならないからです。
面談当日は、改めて説明することから始めるのもよいですし、質問を受けることから始めてもよいでしょう。ポイントは、率直に対等に議論することです。そのためには、やはり上司として考え抜いた上で、部下からのいくつかの質問を想定し、それに対する納得感ある答えを用意しておくことがベターです。もちろん、想定外の質問、意見、主張を受けることもありますが、ひとつひとつ冷静に正しく理解し、誤解を避けながら、合意を形成しなければいけません。
一度合意したら、その後お互いに文句は言わず気持ちを切り替えて目標達成に向けて行動することが重要です。特に外国人部下は「上司が勝手に決めた目標だから・・・」と後でモチベーションを下げがちです。本人の議論能力に問題があるのなら仕方ありませんが、多くの場合は、そもそも率直で対等な議論ができていないことが原因のようです。また、上司も議論の中で不本意に譲歩してしまい、後で、「おまえは自分が達成できそうな甘い目標しか合意しない」と文句を言うケースもあります。本人にはっぱをかけるジョークならよいですが、本気の文句なら上司として判断したことを自己否定することになり、その後の日常的な判断の妥当性にも影響を与えることになりますので要注意です。

合意内容(=目的)を見失わない
多くの場合、日常業務をこなしていく時間の流れの中で、人は合意した目標を忘れてしまうことが実に多いのです。通常、合意した後、目標設定シートはPCの中で保存されるか、印刷した紙の形でクリアファイルかフォルダーの中に入れられキャビネットの中で保管されてしまいます。そして、中間面談あるいは期末面談まで一度も見ることがないという人が少なからずいるのです。人間は頭の中で全てを記憶として保存することは無理なので、時間の経過とともに合意した内容を忘れたとしても仕方ありません。それよりも、上司と部下がお互いに「行き先(=目標)」について意識が薄れた状態で日常的なコミュニケーションを続けることの方が大きな問題なのです。
合意した目標、具体的には、結果の数字や状態、それを達成するための有効な手段や活動などは、常に意識できる状態にしておくことが大切です。意識できる状態とは「視覚的に見える状態」です。心理学や広告研究の分野でも実証されているサブリミナル効果が代表的ですが、文字や映像が人間の視覚に飛び込んでくる頻度が高まるほど、それらは潜在意識の領域に深く入り込み、呼び戻しも容易になります。
具体的には、まず、イントラネット上で誰でも合意した目標にアクセスしてそれを閲覧できるようにしておくことが大切です。会社の組織規模にもよりますが、少なくとも部門内の目標は全ての部員が閲覧できる状態になっていることが望ましいです。ただ、掲示サイトにアクセスするというステップを踏まなければ目で確認できませんので、第一画面に「今期目標」というようなバナーを作ってワンクリックでサイトにアクセスできるようにしておくような工夫が必要です。
次に、視覚的に最も効果的なのは、大変原始的ですが、自分が毎日目にする場所で自分の目標、上司の目標、部下の目標を見える状態にしておくことです。ノートに貼っておく。手帳に縮小コピーを挟んでおく。デスクに貼っておく。オフィスのパテションに貼っておく。スクリーンセーバーで流す。などなど様々な工夫例があります。
上司も部下も、自分の記憶力を過信せず視覚的効果を高める工夫をすると、今までと違って、合意内容をお互いに強く意識できる状態を維持できるようになります。その結果、目的を常に視野に入れたコミュニケーションと仕事ができるようになるのです。

評価する「基準」をマネジメントする(1)

世界で活躍する日本人リーダーの現場行動
~思考と行動をアップグレードする~

第16回
評価する「基準」をマネジメントする(その1)

本質解は、やはり、評価の「基準」にある
日本人でも外国人でも人は仕事をする限り、その成果や貢献度を適切に評価してもらいたいと考え、経営側もそれらを適切に評価したいと考えます。しかし、現実は、なかなかうまくいかず、どんな組織でも評価に不満を持つ人が存在してしています。そのため、「適切な評価」は解決が難しい“永遠の課題”と認識されてしまい、本質的な解決をするための行動が十分にとられていない実態に今まで何度も遭遇し、解決の支援を続けてきました。
長年の問題解決の経験をとおして改めて言えることは、評価に不満を抱く社員の数をゼロにすることは至難の業ですが、少なくし、健全なマネジメントを目指すことは十分可能です。そのためには、やはり、評価の「基準」を明確にしなければいけません。何がどれだけ達成できれば、あるいは、何がどれだけ発揮できればどのような評価になるのかを明確にしなければいけないのです。企業によって、この「何」にあたることについての概念範囲や言葉の使い方に違いがありますが、汎用性のある表現では、「目標」と「行動・能力」の2種類に集約できます。

固定的な基準V.S.流動的な基準
「行動・能力」は、会社の戦略やビジネスモデルが大きく変化しない限り、期待している内容を明確に定義すれば、それを基準として一定期間(例・数年)は固定化できる性質を持ち備えています。定義をする人は通常、結成されたプロジェクトの構成メンバーになる人事部門と事業部門の人で、彼らがある時期に定義のための作業を集中的に行うことになります。その際には、個々の役割や業務の特性を十分踏まえて「いかに肌感覚に合う明確な定義ができるか」が最大の課題であり、最重要ポイントとなります。
一方、「目標」の概念には、「結果」だけの場合と、「結果」と「手段・活動」を含む場合の2つのケースがあります。いずれのケースでも、「目標」は、毎年、各職場で上司と部下が話しあって確認しあわなければいけません。つまり、「目標」はその設定に関わる全員の「思考と行動」に深く連動しているのです。会社として一度定義すれば「基準」として固定化できる「行動・能力」とくらべて、「目標」は都度、人と人が直接的に対話を繰り返さなければいけないことから流動的であるといえます。関わる人のコミュニケーション能力が目標の明確性や納得性に大きな影響を与えることになるのです。

「目標管理制度を始めたが、なかなかうまく機能していない」という残念な現象が少なからずの日本企業で起きてしまっています。なぜこのようなことが起きてしまうのでしょうか?

自然体の経営感覚が薄れている
例えば、資産家でない普通の人が成し遂げたいことがあり、自分のお金で会社を作り社員を雇用したとき、全社員を定年まで雇用することを約束する経営者はまずいないでしょう。会社業績については、もちろん右肩上がりの成長を目指しますが、「現実は良い時もあれば悪い時もある、悪い時にも耐えることができるマネジメントを整えておく」と考えるのが普通のリスク感覚です。さらに、業績向上に向けて、毎年の目標を組織と個人において明確にし、その達成度合いを適切に評価して、優秀な社員、成長見込みのある社員、成長見込みのない社員など、人材を見極めることになります。その結果、役職、役割に見合った報酬も決めることになります。また、このプロセスの中で、社員ひとりひとりの成長を期待し、良いことを褒めたり、改善すべき点を叱ったりすることを繰り返すことにもなりますが、これら一連の行動はまさに“自然体”の経営感覚にもとづいた経営行為なのです。
しかし、残念なことに、いま多くの日本企業では、この“自然体”が失われてしまっているようです。バブル崩壊前の成長期に培われた「差がつかない平等」感覚や「会社と社員のもちつもたれつ」感覚が、バブル崩壊後20年経過した先行き不透明な現在でも、迷いを伴いながら無意識のうちに深く残っているようです。このような感覚の下では、目標管理を始めても社員が本気になれませんし、結果、本来の目標管理がうまく機能しなくなっても仕方ないでしょう。欧米企業、アジア企業と戦って生き残っていくいためには、まずは、自然体の経営感覚を取り戻すことが大切です。

目標達成度“以外”で評価が決まる
多くの日本企業での評価実務の実態は、目標達成度“以外”の「要素」で評価が決まっていることです。この「要素」が明確に定義された「行動・能力」であれば問題ないのですが、現実はそうではありません。この「要素」は(評価者の主観や感覚に基づいた)曖昧なものであることが多く、説明が大変難しいのです。さらに、この「要素」の評価が最終評価結果に与える比率が高くなりがちなことが問題を深刻にしているともいえます。
折角、目標管理制度を導入しても、これでは、台無しです。目標設定シートに記述した内容や達成度が結果的に軽視されてしまうのであれば、上司、部下の面談で「形」だけを整えるプロセスは時間のムダと感じる人が増えても仕方ありません。その結果、目標を真剣に考えることに価値を見出すことができる社員が減り、目標管理は自ずと機能停止し、社員の経営感覚が薄らいでしまうのは当然の帰結といえます。

「究極の“勘”」の妥当性が高い
大変興味深いのは、(皮肉なことに)日本企業での最終評価結果の妥当性が案外高いことです。日本企業で評価が高い人は、社内の市場原理が働き、人から信頼され任される仕事が増え忙しくなります。存在感も高まります。そして、役割が大きくなり役職も高くなるので、周囲の人からも客観的に認知されやすいのです。周囲の人に「えっ、なんであの人が評価されているの?」と本気で疑問を抱かせてしまうような人は少なく、むしろ、「やっぱりそうだよね・・・」と認識されることの方が多いのです。
ですから、仮に不満や疑問を感じる人がいたとしても、その人は雰囲気的に文句を言いにくくなります。また、文句を言うことで「変なヤツ」とレッテルを貼られるリスクもあるので、今後の定年まで続くであろうサラリーマン人生を考えて、その時の不満や疑問を消去してしまうのです。
つまり、多くの日本企業では、目標達成度“以外”の非明示的で説明が難しい「要素」で社員を評価していることが多いのですが、不思議なことに、最終評価結果の妥当性が高く、多くの社員に受け入れられてしまっている奇妙な現象が起きているのです。この背景には、日本人同士の高い同質性が感覚的に共感、同感できる「言わずもがな」の幅を広げていることは言うまでもありません。このように、世界でも珍しく「究極の“勘”」によるマネジメントが日本企業社会でうまく機能してしまうことが、目標管理の機能に障害を与えてしまう皮肉な結果を生んでしまうのです。

「異なる意見」をマネジメントする方法

世界で活躍する日本人リーダーの現場行動
~思考と行動をアップグレードする~

第15回
「異なる意見」をマネジメントする方法

「異なる意見を受け入れる」とは「相手に折れる」こと?
外国人同士と比べて日本人同士では、日常的に異なる意見が“表だって”対立する頻度はかなり低いです。しかし、稀に対立すると、双方が第3者から「異なる意見を受け入れなさい!」というなんとも“不可解な”アドバイスをもらうことになります。
自分なりにしっかり考えをまとめて議論に参加した時、そこで部下や同僚から異なる意見・考え・アイデアを提示され理解を求められると、国籍を問わず人はなかなか冷静に対応できないものです。特に日本人はこのような「場面」の経験が少ないため、無意識に湧いてしまうネガティブな拒否感情を冷静に処理する方法に疎くなってしまっています。
その結果、「意見」が対立しているだけなのに、人と人の「感情の対立」や「感情のもつれ」を避けようとして、どちらかが“状況”を見て「折れる」行動をとる傾向が高くなります。”パワーバランス”としては、部下が「折れる」、部下に「折れさせる」ことが多くなるのが実態でしょう。
また、形は変化しつつあるものの終身雇用が一般的な慣行となっている日本の企業社会では、好むと好まざるに関わらず、人と人の「長い付き合い」が前提となります。この前提が「どちらかが折れて人間関係を維持する」行動習慣を心理的に後押ししているとも十分考えられるのです。

一方で海外では、そもそも「各個人の意見は異なることが当たり前」であり、異なる意見が対立することは日常茶飯事です。そのため、頑固で感情的な外国人を除けば、「異なる意見を受け入れなさい!」というアドバイスをもらうことは少ないでしょう。意見が対立すれば、お互いに異なる意見を感情的に拒否するのではなく、まず、双方の意見を冷静に正しく理解し合うことが鉄則です。その結果、どちらかの意見に納得できるかもしれませんし、お互いがフェアーと感じ納得できる新しい意見を一緒に創ることができるかもしれないのです。
海外には終身雇用をベースとした「長い付き合い」という前提や、そこから派生する「気遣い」による「折れる」あるいは「我慢して飲み込む」というような行動習慣はほとんどありません。
従って、日本企業の海外拠点で日本人上司の意見が外国人部下の意見と対立する時、日本で期待できる”パワーバランス”が機能する確率は自ずと低くなってしまいます。その結果、日本人上司はストレスを溜めてイライラするか、敢えて部下の意見を聞こうとせず業務命令のみを繰り返し、外国人部下との人間関係が徐々に疎遠になってしまうことが多く見られます。

では、意見が対立する場面経験が少ない日本人は、どのような方法で異なる意見をマネジメントすればよいのでしょうか?
「異なる意見を最後まで聞く」は本質的な解決策ではない!
異なる意見を感情的に拒否しがちな人は「異なる意見を最後まで聞きなさい!」というアドバイスを受けたことがあると思います。アドバイスに従い、辛抱して頑張った人も多くいると思いますが、その結果、お互いの意見を冷静に正しく理解し合えたと実感した人は少ないはずです。
海外拠点で外国人部下の話や報告を聞いている時、その内容が「期待に反している」「自分の考えに合っていない」「間違っている」と感じた瞬間、首を横に振りながら、「違うだろう!」「こうでしょ!」と言って相手の話を途中で遮る日本人上司は実際のところ少なくありません。
そこで、先のアドバイスを受け、相手の話を最後まで我慢して聞いた経験がある人は案外多いと思います。しかし、相手の話を聞いている途中で「そうじゃない!」と感じた瞬間以降は、相手の言葉は「音」として聞こえてはいるのですが、同時に、「音」が鳴り止んだらどういう表現で説き伏せようかと頭の中で考え始めていることが多いのです。つまり、「音」を聞きながら、伝える内容を考える脳がフル回転し、相手の話を理解する脳が停止している状態になっているのです。表情は、ポーカーフェース、強張った表情、イライラした表情、微笑みを創った表情など人により様々です。興味深いのは、相手の言葉の「音」を聞き終わると、ほとんどの人が「あなたの言っていることはわかりますが・・・」「あなたの言わんとしていることはわからないわけではありませんが・・・」、あるいは、話の内容とは関係なく「あなたの“気持ち”はわかりますが・・・」というような決まり文句を“緩衝材”として使い、その後は、相手の話を全否定し、「でも、こうでしょ!」と言っているのです。理解する脳が途中で停止しているので、相手の話を理解できているはずはありません。つまり、「異なる意見を最後まで聞く」行為だけでは、相手の意見を「理解する」ことはほぼ不可能なのです。

「異なる意見を正しく理解する」ための効果的な方法
結論は、相手の話を聞き終わってから、相手の異なる意見を「整理して復唱する」ことです。その際には、できるだけ相手が使った言葉を使うことと、自分の勝手解釈を加えないことがポイントです。相手が使っている「言葉の意味」が理解できない場合や、相手の意見の「理由」がよく理解できない場合は、相手に説明を求め、それを理解してから、整理して復唱することが鉄則です。
具体的には、「貴方の意見は・・・・・なのですね?」「その理由は・・・・・なのですね?」「この理解で正しいですか?」と聞いて確認する行動を身につけることが重要なのです。
意見が対立した時、この確認する行動が自分の「アウトプット」だと決めれば、異なる意見を聞きながら感情的になってはいられませんし、当然のことながら、最後まで話を聞かなくてはいけなくなります。相手の意見を理解していなければ、それを「復唱」することは不可能なのです。
この行動をとった後、相手が「その理解で正しいです」と言えば、正しく理解できたことになりますし、相手も、今までと違って自分の意見を正しく理解してもらえて心地よい気持ちになります。まず、ここの状態に到達することが大切なのです。さもなければ、その後のフェアーな議論は通常ありえないのです。
一方で、「ちょっと違います」という反応が返ってきた場合は、理解が間違っていた、あるいは、相手の表現が適切でなかったかのどちらかでしょう。ただ、残念ですが、この場合は、「そうですか・・・では、ちょっと違う部分についてもう一度話してくれますか?」と聞き直し、話してもらった後にもう一度、整理して復唱する必要があります。
全てのケースとまでは言いませんが、このような行動をできるだけ回数多く繰り返す努力がとても大切です。この努力の過程で、そもそも意見の対立に不慣れな日本人上司は異なる意見を正しく理解するための行動を身につけることができるようになり、同時に、外国人部下もより適切な言葉でわかりやすく表現する行動を身につけることができるようになっていきます。さらに、コミュニケーションのキャッチボールの中で、日本人上司が相手と異なる意見を伝える際に、解釈の幅が狭い(=低コンテクストの)表現ができるようにもなり、副次的な効果は計り知れません。

「努力」の方程式

世界で活躍する日本人リーダーの現場行動
~思考と行動をアップグレードする~
第14回
「努力」の方程式

「努力」とは合目的な「変化」を作ること
何か達成したい目標を描くことができて現状とのギャップに気づいたときや、身近な人や他人からフィードバックを受けて考え方や行動を変えようと思ったときに、人は「努力」という2文字を頭の中に浮かべます。そして、まず何から努力しようかと考え、そして決めたら、努力する行動をとりはじめるのです。
通常、努力することは決して簡単で楽なことではありません。なぜなら、努力の成果は「変化」であり、何事においても「変化」を作るプロセスでは様々な種類の障害が目前に立ちはだかるからです。その中でも自分の中に潜む心理的な抵抗感は最大のボトルネックなのです。ですから、中途半端な気持ちの努力では「変化」という果実を得ることができないのは当然のことです。また、自分としては一生懸命意識して努力していると言う人もいますがが、残念ながら、その多くの人は努力する行動の「質」に問題があるため、努力している「つもり」で終わってしまい、「変化」までたどり着くことができていないようです。

では、人は、努力する行動の「質」をどのように高めればよいのでしょうか?
まず、努力する行動=①準備する+②実践する+③振り返る、であると認識することが必要です。そして次に、これら3つの行動を1セットとして地道に何度も繰り返すことが大切なのです。

質が低い「努力」とは?
多文化環境の中に身を置く日本人が、ビジネスパーソン、ビジネスリーダーとして身につけなければいけない行動を例としてとりあげてみましょう。
「理由と合わせてYesかNoをはっきり表現する」「議論の場で臆することなく発言する」「自分と異なる意見や考えを感情的に拒否しない」は日本人が身につけなければいけない代表的な行動例です。つまり、これらの3つの行動は日本人にとって「苦手な行動」なのです。ですから、努力して「苦手」を「得意」にしていかなければいけません。少なくとも「苦手」という意識領域から脱出して、「得意」に近づくための「変化」を作っていかなければいけません。
しかし、努力している「つもり」の人の多くは、なかなか「変化」を作ることができず立ち止まっているようです。その理由は、次の2つのどちらかの行動をとっているからだと思います。
ひとつ目は、苦手な行動を克服する試練の場で、いつもより強く意識して頑張ってみるという行動です。この行動は方程式の②の行動です。例えば、「来月の○○会議の場で、中国人の(自分と)異なる意見や考えを感情的に拒否しないよう、強く意識して頑張ってみよう」ということです。いわゆる、ぶっつけ本番です。本当に「苦手な行動」はぶっつけ本番の頑張りを繰り返すだけで克服できるものではありません。
ふたつ目は、苦手な行動を克服するために、その対策を考えてから試練の場に臨んで頑張ってみる、そして、後で、自分なりに反省してみる、という行動です。この行動は方程式の②だけではなく、前後の①と③の行動も伴っているように一瞬聞こえますが、①と③の行動の「質」に問題があります。努力している「つもり」の人の多くは、実は、①と③を「頭の中」でおこなっています。実際のところ、意識して準備している時間や意識して振り返っている時間の中でハッと気づいたことは、その瞬間、「テロップ」のように頭の中で文字や音として流れます。しかし、スッと消えていくので、よほど衝撃的なこと以外は記憶として持ち続けることはとても難しいのです。「頭の中」で①と③をやっている人の多くは、自分の知力や記憶力を過信している人か、面倒くさがり屋の人でしょう。あるいは、自分の中で「変化」を作ることに戸惑いを感じている人でもあります。このような人は「気づき」を意識し続けることができないため、実態は、ぶっつけ本番の場で②を繰り返す行動をとっている人と大差がないのです。

質が高い「努力」とは?
本気で真剣に努力している人は「①準備する」「③振り返る」行動の質が高い人です。その上で、「②実践する」場を経験する頻度を高めている人、さらに、②の場を自ら作り引き寄せている人でもあります。つまり、努力する行動の質を決定づける「鍵」は①と③であり、②の場は努力したことを「試す」場であるという考え方が本質的なのです。
質が高い努力をしている人は①と③を「頭の中」ではなく、「ノート」を使って行動しています。「気づいたこと」を文字で表現することはある意味、自分自身と正面から向き合うことでもあります。実は、この素直さと勇気が「変化」を作る原動力になるのです。
さらに、一度書いた文字は、自分で消すかノートを失くさない限り、自然に消え去ることはありません。必要な時はいつでも自分の視界の中に呼び戻して、過去に「気づいたこと」と再会し確認することができるのです。自分の記憶をたどって過去に「気づいたこと」を思い出す苦労をしなくてよいので、時間の効率も高まります。また、この頻度を高めれば高めるほど、潜在意識に深く刻み込まれ、いわゆる「意識づけ」を強めることにもなります。
「気づいたこと」を頭の中で滞留させようとせず、ノートなど自分の外にある情報保存ツールに移動させておくと、「忘れてもよい」という安心感が生まれると同時に、頭の中の記憶容量に新しい気づきのための「空き容量」を作ることもできるので、気づきの「新陳代謝」がよくなり、「変化」を作るスピードが速まる効果も期待できるのです。

「隠れた努力」の意味は?
努力の方程式を構成する3つの行動のうち、②「実践する」行動は通常、人が観察できる行動です。しかし、①「準備する」と③「振り返る」行動は、本人が自分自身と向き合っている時間での行動が多いため、通常、人は観察しにくいものです。つまり、①と③の行動は、周囲の人から見えにくい環境でとっている行動のため、俗に「隠れた努力」と呼ばれるのです。
「隠れた努力」をしている人は、他人からのアドバイスやフィードバック、自己分析や自己反省をとおした「気づき」と素直に向き合い、それを整理し咀嚼します。そして、一度消化して自分で納得したら、次の本番の場面をイメージして仮想Q&Aやセルフリハーサルなどを繰り返し、本番で「試す」内容を入念に準備します。そして、徐々に湧いてくる自信が「試す」場を増やす勇気を生み、新しい「気づき」を得る好循環に繋がっていきます。結果的に、「努力」の質が高まり、着実に「変化」が起きていくことになります。
人の2倍3倍努力している人とは、このような「隠れた努力」をしている人のことであり、「頭」と「心」を同時に成長させ変化し続けている人なのです。
スポーツ選手、俳優、タレント、芸人などプロフェッショナルな職業についている人だけではなく、経営者、ビジネスパーソンでもプロ意識の高い人、「変化」にコミットしている人は、「隠れた努力」の時間を創ることを惜しまず日々前進しています。

3種類の「メモ」「ノート」で思考と行動をアップグレードさせる!

世界で活躍する日本人リーダーの現場行動
~思考と行動をアップグレードする~
第13回
3種類の「メモ」「ノート」で思考と行動をアップグレードさせる!

「メモ」「ノート」をとる行動は、問題解決や自己成長に欠かせない
国籍を問わずどの会社でも、「メモをとる」「ノートをとる」ことは大切な行動として認識されています。一般的には、日々仕事をする中で、人から何かを教わるとき、人から指示を受けるとき、大切な話を聞くときに、「メモ」や「ノート」をとることが重要だと認識されているのです。
私はコンサルタントとして過去約15年間、様々なクライアント企業で人と組織に関わる問題解決を支援してきていますが、支援を開始する際には、「メモ」「ノート」をとる行動文化が定着している会社かどうかを最初に確認するようにしています。なぜなら、支援方法に大きな影響を与える要素だからです。結論を言えば、この行動文化が定着している会社では問題解決の質が高く、そのスピードも速く、さらに、合意形成プロセスの説明性が高くなる傾向があります。一方で、そうでない会社では、伝えた!聞いていない!の押し問答や勝手解釈などから仕事の手戻りや停滞が起きがちなので、問題解決のスピードは遅くなりますし、仮に問題解決できたとしても偶発性が高く、組織学習にはなかなか及ばないのです。
また、「メモ」「ノート」をとる行動文化の定着度合いに関わらず、どんな会社でも、「メモ」「ノート」をとる行動習慣が弱い人はいます。「手を動かさなければいけないから面倒くさい」「頭の中でおおよそ記憶できるから聞いておけばいい」というような心理が通常働くようです。あるいは、「自分にとっては大切ではないこと」と勝手に決めつけて相手の話を聞き流している場合すらあります。残念なことに、「メモ」「ノート」をとらない行動は、「理解する」「学ぶ」「気づく」機会をその都度自ら放棄していることになり、結果的に「自己成長」スピードが減速してしまうのです。
さて、一般的に使われる「メモをとる」「ノートをとる」という行動は、その「目的」によって3種類に分けることができます。
3つの目的
①  「理解する」ために「メモ」「ノート」をとる!
この行動が必要になる場面は「人の話を聞いているとき」ですので、一般的に使われる「メモをとる」「ノートをとる」という行動はこの目的のための行動である場合が多いです。
相手の話を「理解する」ということは「相手の思考をトレース(=追跡)する」ということを意味します。具体的には、相手が伝えようとしていることを理解するために、相手の話しの「論理」と「構成」を手元のノート上で見える状態にする作業です。この作業をとおしてこそはじめて、質問の内容や観点が見えてくるのです。しかし、この作業を強く意識せず相手の話す「言葉」のみを一生懸命メモとして書いたらどうなるでしょうか?結果的に手元のノートにはたくさん「文字」が残りますが、後でそれを読み返しても、相手の話しの「論理」や「構成」はおろか、話しの内容すら思いだすことができないメモ(=再現性の低いメモ)になってしまいます。これでは相手の話を聞きながらせっかくメモをとっても「理解する」という目的は達成できません。「相手の思考をトレースする」ためには「考えながら」「整理しながら」相手の話を聞きメモをとる必要があります。逆に言えば、伝える側は聞き手が自分の思考をトレースしやすいように、話しの「論理」と「構成」を明確にして話すことが必要になるのです。
②  「伝える」ために「メモ」「ノート」をとる!
この行動が必要になる場面は「人に話をする前」です。国籍を問わず、この行動がきちんと習慣化されている人は少ないのが実情です。人は相手に何かを伝えたい、理解してもらいたいときに、頭の中でその内容のイメージが湧いたらすぐに直接対話や電話で話したり、メールを送りたくなるものです。あるいは、伝える内容のイメージが曖昧なまま伝えはじめ、伝えながら伝える内容を徐々に明確にしていく行動をとりがちです。この場合、相手の話しの「論理」と「構成」が不明確なことが多いため、聞き手は理解するのにとても時間がかかりますし、お互いにとっても効率が大変悪く、ストレスの溜まるコミュニケーションになる可能性が高まります。
特に日本人は、他国の人と比べて同質性が高いため、そもそも「お互いがわかり合えて当然」という考え方のもとで日常的にコミュニケーションしていることが多いです。そして、言語的特性も加わり、結果的に、「解釈の幅が広い曖昧な表現(=高コンテクスト)」を使う傾向が高くなります。さらに、日本では家庭教育、学校教育の中で自分の考えや意見を明確に表現することが十分訓練されていないため、論理的に具体的に、わかりやすい言葉で話を組み立てることが苦手な日本人が多いのも事実です。\r\n\r\n従って、外国人に対して少し複雑なことを理解してもらいたいときや、日本人にとって当たり前のことを説明するときなどには、「相手に話をする前に」伝えたい内容をノート上で整理し、「論理」と「構成」を明確にする行動習慣を身につける努力をしなければ、通常、外国人には伝えたいことがなかなか正確に伝わらないものです。
残念なことですが、日本企業の海外拠点で逐語通訳を介して現地社員にコミュニケーションするとき、通訳が日本人社員の話す日本語を正確に理解できず、推測して意訳せざるを得ないケースは実は大変多いのです。自分の学歴や知力を過信せず、「メモ」「ノート」で伝える内容を整理することは日本人として思考と行動をアップグレードする上で大変有益なことですが、日常的に意識しなければなかなか習慣化できない行動でもあります。
③  「気づきを深める」ために「メモ」「ノート」をとる!
この行動が必要になる場面は「自分自身を振り返るとき」、つまり、自分と素直に向き合うときです。この場面や時間はかなり意識しなければ創ることができませんし、創り続けるためには強い動機をもつ必要があります。そのためには、自分の目標や、目標を達成するための努力の内容、解決したい内容などを明確にしなければいけません。そうすることによってはじめて、自分と素直に向き合う時間に自分にとっての「意味」を見出すことができるのです。
自分自身を素直に振り返ると、人はさまざまな「気づき」を得ます。それをノートに書き留めておくと、そのノートを捨てたり失くしたりしない限り「文字」として残りますので、必要なときにいつでも自分の視界に呼び戻すことができます。その繰り返しが意識を強めて「気づきを深める」ことに繋がるのです。その結果、潜在意識の中で「気づき」が何度も蓄積されていくことになるため、大切な「気づき」を忘れてしまうことは大変少なくなります。必要な場面で「気づき」を引き出しやすくなり、さらに次の新しい「気づき」に繋がり、その結果、「気づきを深める」連鎖が定着することになります。
スポーツ界では、野村克也氏(元楽天監督)の「野村ノート」や本田圭佑氏(サッカー日本代表)の「練習日誌」が有名ですが、ビジネスパーソンや経営者でも振り返りのための「自分ノート(仮称)」を活用している人は少なくありません。振り返りの時間は、すべての人が経験する日常の実務時間と異なり、いわゆる「隠れた努力をする」「自分を深める」時間に相当します。実務力だけでなく人間力という点でも思考と行動をアップグレードできる大変重要な時間なのです。知力、要領、運だけでなく、「素直さ」を持ち備えた人は、人間味があり、使う言葉にも重みや深みが伴い説得力が高まるものなのです。

「目標」と「努力」をマネジメントする!

世界で活躍する日本人リーダーの現場行動
~思考と行動をアップグレードする~
第12回
「目標」と「努力」をマネジメントする!

目標は「もつ」のではなく「書く」のがよい
「目標をもっている」人は多いかもしれませんが、「目標を書いている」人は実は少ないのが現実でしょう。人生、キャリア、職場の業務に関わらず、達成したい状態イメージを「書いて表現する」とその目標の実現性は高まります。具体的で、シンプルな言葉であればなおさらです。さらに、書いた目標は日常的に自分の視界に入る場所で保管し、自分にとって「見える状態」を作っておくと効果的なのです。なぜなら、物理的に自分の外に保存されている「目標」という情報が、頻繁に見る視覚的な行為の繰り返しをとおして潜在意識の領域に入り込み保存され、強く「意識づけ」されるからです。目標を書かずに「もっている」人は、頭の中で目標を記憶として保存している人です。ただ、頭の中の記憶は持続性に欠けますので一時的な「意識づけ」は可能でも、「意識している」状態を続けることは難しいのです。一般的に人が「意識しています」という表現を使う時は「頭の中の記憶として保存しています」ということを意味していることが多く、記憶のみに依存するため、「意識している」状態は不安定にならざるをえませんし、結果的には「意識できていない」ことの方が多いといえます。一方で、目標を書いて、頻繁に見るようにすれば、書いた目標は消さない限り残りますし、視覚に訴えることで潜在意識の領域に深く植え付けられることになり、「意識している」状態の安定性は自ずと高まるのです。
そもそも、目標とは自分の「欲望」や「意思」を明確にすること
人は生まれてからの成長過程の様々な段階で目標を考え、その達成に向けて努力しています。スポーツ、学業、恋愛、ビジネス、自己成長など目標を設定するテーマも様々です。そもそも目標を立てるということは、「志」や「目的意識」に基づいて「こうなりたい」「こうしたい」「こういうスキルを身につけたい」「ここまで達成したい」などの「欲望」や「意思」を自分で明確に描き、言葉で表現することなのです。人は自分の「本能」と距離が近い目標であれば、それを強く意識し、その達成に向けて本気になりやすいです。また、この場合、敢えて目標を書いて表現しなくても潜在意識の領域で保存し続けることができる可能性が高まります。しかし、「本能」との距離が遠くなる目標はそうではありません。会社組織の中で毎年設定する目標や上司から要請される成長目標などはまさにその類の目標になります。自分の欲望や意思だけでなく、上司の考えや期待が多く入り込んでくるからです。しかし、起業ではなく、組織のメンバーとして働いている限り、組織人として上司としっかり議論した上で納得するプロセスを踏まなければいけないのは、国籍を問わず必要なことなのです。
「自分」に立脚する行動を強める
特に、終身雇用という労働慣行のもとで「会社のため」「組織のため」という大義名分を優先させ自己を犠牲にする傾向が強い日本人は、職場における「目標」にはあまり意味を見いだせないものです。なぜなら、そこには本質的に「自分のため」という意味合いが薄れてしまっているからです。仮に目標が達成できなくても全て自分の責任であるとは感じず、心のどこかで、会社や上司に責任を転嫁している人が少なからずいるのが実態でしょう。その背景には、目標設定の際に、上司に自分の考えや意思を明確に伝えると「自己中心な社員」と見なされてしまうリスクもあり、結果的に、上司との議論が不完全燃焼になってしまうことがあります。さらには、就社意識のもと、「自分のため」を封印していることから、自分の考えや意思を明確に表現するための言葉や行動習慣をそもそも失ってしまっていることも十分考えられます。
他方、欧米諸国はさることながら、成長が著しい中国やアジアの人は上昇志向が強く、基本的に自分のために就職し、自分の市場価値を高めるために仕事をしています。従って、目標設定の場面でも、原則、「自分」に立脚した考え方で行動します。場合によっては、自己中心でわがままな行動にもなりえますが、優秀な人材は「自分」に強く立脚しつつ、「上司」の考えを聞き出しながら、議論をとおして、自分を上司に理解させ自分も納得するという行動をとります。この点、「会社」や「上司」に強く立脚し、「自分」の考えや意思を表現することを躊躇し遠慮する日本人の行動特性とは大きく異なります。日本人が外国人上司と仕事をする時、外国人部下をマネージする時には、自然体に回帰して、自分が感じることや考えることを率直に表現し、自分の欲望や意思をぶつけ合うことを避けない行動をとることが大切です。
「努力」は3つの行動のセットのこと
目標を明確に記述して見える状態にすれば、次はその達成に向けて努力しなければいけません。特に、自己成長目標の場合、努力する行動の質を高める必要があります。例えば、「わかりやすい言葉で具体的に表現する」という行動目標の場合、この行動をとる場面でとにかく繰り返し「実践する(=やってみる)」だけでは、本当の意味では努力していることになりません。ある程度の勇気と覚悟があれば誰でも「実践する」ことはできます。努力とは「実践する」行動の前後の行動を併せてとってはじめて効果が高まるのです。実践する前に「準備する」行動をとり、実践した後に「振り返る」行動をとることが重要です。さらに、この前後の2つの行動は強く意識してとる必要があります。具体的には、まず、「意識的に準備したこと」を素直にノートに書きとめ、そのうえで、実践し、最後に、「振り返って気づいたこと」、例えば、「準備したとおりにできたかどうか」「できなかった理由」「次はどうしようと決めたのか」などについてできるだけ率直にノートに書きとめることが大切なのです。世の中の多くの人は、実践の前後のこの2つの行動を「頭の中で反芻する形で」とっていると思いますが、所詮、これは「記憶」の領域を出ない行動ですので「意識している」状態の安定性は残念ながら低くなります。「意識的に準備したこと」と「振り返って気づいたこと」について肩ひじを張らずに感じるままにノートに書き、それを、日常的に頻繁に見ることをとおして潜在意識の領域に深く植え付けていくことこそが、「実践する行動」のレベルを引き上げていくことに繋がります。本物の努力の方程式は、「努力」=「準備」+「実践」+「振り返り」となります。ノートのメモを伴ったこの3つの行動セットを繰り返すことが、努力する行動の質を高め、目標を意識する状態を持続させることを可能にするのです。