経営とビジネスの現場で、日本人の「思考」と「行動」に変化を起こす!「マネジメント実務」に変化を起こす!

コラム

優秀人材 V.S. 必要人材

世界で活躍する日本人リーダーの現場行動
~思考と行動をアップグレードする~

第35回
優秀人材 V.S. 必要人材

 日本の大企業が求める人材は、まず、新卒であれば、できるだけ学歴が高い人材、あるいは、トップレベルの大学在籍者です。既卒であれば、できるだけ知名度の高い企業、あるいは、優良企業で職務経験を積んだ人材です。その理由は、このような人材が日本の企業社会で一般的に「優秀人材」層とみなされているからです。実際は、そうでない層にも本当に「実力」があり成功している人材はたくさんいるのですが、そのような人材がなかなかクローズアップされにくいのは日本社会の特徴といえます。

 さらに、日本の大企業は、このような「優秀人材」に高い適応力を求めます。彼らは終身雇用的慣行のもとで通常“就社”していますので、定期的に人事発令を受けながら社内のいろんな種類の仕事に就くことが求められます。したがって、特定の仕事への強いこだわりを持たず、「どんな仕事でも頑張ってやります!」というガッツある姿勢が好ましいのです。「特定の仕事を追及したい」という人材はどちらかというと徐々に「ライン」からはずれる人材カテゴリーに入るのです。

つまり、高学歴、トップ校卒業の人材で、かつ、いろんな仕事への適応力が高い人材が、日本の大企業が求める「優秀人材」の基本スペックであり、かつ、「必要人材」であるといえるのです。

実際のところ、その「必要人材」の中で、自分の役割や責任範囲を徐々に大きくし、仕事の進め方と成果を周囲の人から認められる人材が、社内における「実力」ある人材とみなされることになります。

 他方、海外では、雇用慣行も人の思考・行動特性も日本とは大きく異なります。しかし、日本企業の海外拠点に駐在する日本人の多くは、現地人材を採用するときに「日本での常識」に縛られているようです。「このレベルの学校卒業者がほしい」「できるだけ認知度の高い企業で職務経験がある人材がほしい」という考え方で人材スペックのイメージを描き、実際、そのイメージにそって現地人材を採用し、さらに、社内のいろんな仕事への適応力も求めていることが多いのです。

 この「日本の常識」のもとで現地社会の「優秀人材」を採用すると、最初からミスマッチを起こしてしまう可能性が高くなります。現地社会の「優秀人材」は、日本企業の海外拠点にとって必ずしも「必要人材」とはいえないのです。

まず、現地の「優秀人材」の多くは、日本人に求められる適応力を持っていることが少ないです。その理由は明白で、海外では日本のような終身雇用的慣行はないため、市場の「優秀人材」は“就社”ではなく“就職”し、「こういう仕事をやりたい」という一定度のこだわりをもっているからです。「日本の常識」を引きずっている日本人は、現地人材を採用した後、このようなこだわりが見えてきたときにどうしても違和感を抱いてしまうのです。

 次に、このような「優秀人材」は向上心や成功欲、いわゆるハングリー精神が強いです。今働いている会社を辞めるときに市場で高い値段(=給料のオファー)がつくよう自分の価値を高めたいと考えるのです。したがって、日本本社と違って海外拠点では、「優秀人材」のこのようなニーズに応えることができるかどうかの検証が大切なのです。
 そのためには、自社のビジネスモデルの特性を見極めなければいけません。ビジネス上、顧客から日本人駐在員の存在を強く求められ、社内的にも、本社から連絡窓口として日本人の存在を求められている場合、現地人材の現実的役割は日本人の「アシスタント」になります。そして、キャリア上の「上昇スペース」も少なく、「優秀人材」のニーズとはマッチしません。にもかかわらず、「私の後任は君に期待したいので頑張ってくれ!」と言っても、顧客や本社との関係上、その実現性は低いといえます。
 このような場合は、一般的な「優秀人材」ではなく、日本人のアシスタントとして「優秀な人材」を採用し育てた方がよいのです。決められたことを正確に事務処理することや、限られた時間内に効率的に事務を完了させることに充足感をもつような人材の方がビジネス特性にマッチしています。むしろ、過去に採用してしまった「優秀人材」には事情を明確に説明し、お金を払って退職を促す方がお互いにとってよい判断であるとすらいえるのです。

中国人は“自発的に”報告しない!?

世界で活躍する日本人リーダーの現場行動
~思考と行動をアップグレードする~

第34回
中国人は“自発的に”報告しない!? 

中国で働く日本人駐在員の間では、日本人と違って中国人は“自発的に”上司に報告することが少ないという認識があります。課長クラスでもそうですが、現場のスタッフや作業員になればなるほどその傾向が強まると感じています。特に、「問題が大きくなってはじめて報告してくる」中国人の行動に日本人駐在員はストレスを溜めてしまいます。

このストレスの背景には「日本人なら困ったらすぐに“自発的に”相談や報告をするのに・・・」という感じ方があるのです。

日本の大組織で働く日本人は終身雇用的慣行ももとで仕事をしていますので、行動の大義名分は「会社のため」になります。そして、「会社のため」という共通の考え方のもとでお互いに助け合う、声を掛け合う、相談しあうという行動が自ずと一般化しています。
さらに、同質性が高いためコミュニケーション上「お互い理解しあえて当然」という考え方が大前提になります。そうすると、この大前提のもと、相手の表情、仕草、言葉使いなどを含めお互いに求めていることを推察し合い、お互いに気遣いしながら行動することが常識的になるのです。
このようなことから、“たまたま”問題が大きくなる前に相談や報告があり、問題を未然に防ぐことができているケースが多いのが日本での実態に則した「感覚」だといえます。

中国で働く日本人駐在員はこの「感覚」を中国人社員に求めてしまいストレスを溜めているようです。日本人と同じように、問題が大きくなる前に“自発的に”相談し報告してほしい、という気持ちはよくわかりますが、実際にそのような行動を中国人に習慣化させることは大変難しいです。

中国人のみならず多くの諸外国の人の行動習慣は、終身雇用的慣行や高い同質性もさることながら、性善説がベースとなった日本人の行動習慣とは大きく異なります。相手が日本人の場合と同じように、中国人の「善意」や「ボランタリー」に基づく行動に「依存」することは適切ではありません。しかも、経験値が不十分な中国人の行動“だけ”に依存することは大変リスクが高いと思います。

問題を大きくせず未然に防ぐということが目的ならば、相手の中国人に期待するだけでなく、日本人管理者がとるべき適切な行動もある、と考えるのが合目的であってフェアーな考え方です。多くの場合、次の2つの行動が日本人管理者側に欠けていることが大きな問題なのです。

まず、問題を未然に防ぐための「管理フロー」や「管理手順」を明確することです。
日本の職場での手順書の内容には「グレー」な部分が多いのが一般的です。しかし、社員一人一人が「会社のため」に「善意」で行動し、結果的に「グレー」な部分を補って、問題を未然に防ぐことができていることが多いのです。
中国で、このような「管理ツール」の「不十分さ」を中国人の“自発的な”行動で補おうとしても、中国人に日本人と同じような「善意」に基づく行動を期待することがそもそも難しいため機能しないのです。
日本人管理者は問題が起きると、その問題を題材に「反省会」「勉強会」を実施することが多いです。このこと自体は大変良いのですが、その場で「では、これからは○○しましょう」という掛け声や口頭やメールでの確認で終わってしまっていることが問題なのです。折角、出た結論はその時点での「管理フロー」や「管理手順」の改定に繋げ、「管理ツールの精度」「ルールの正確性」を上げ、「グレー」な部分を最小化するための努力をしなければいけないのです。

次に、中国人との対話の時間の確保です。
多くの場合、日本人管理者は自ら中国人と対話する時間は極力少なくし、一方で中国人からの報告などを待つ傾向が強いです。日本人管理者の中には、日本語ができる中国人部下とはよく話すが、そうでない中国人部下とはほとんど話さなくなる人も少なからずいます。まずは、自分の直属の中国人部下とは直接報告を受ける面談の時間を毎月最低1時間設定し、その報告の時間を活用して連絡や相談を促す「質問」をしながら、相互理解を深めていくことが大切なのです。日ごろのフェアーな対話不足が結果的に大きな問題を引き起こしているという側面も十分あると考えるのが妥当だと思います。

上げたら降ろすのはかわいそう!?

世界で活躍する日本人リーダーの現場行動
~思考と行動をアップグレードする~

第33回
上げたら降ろすのはかわいそう!?

日本の多くの大企業では、「上の役割に上げたら降ろすのはかわいそう」という考え方と感覚が一般的です。

特に、業績が低迷しているときは、組織は縮小均衡状態になり、会社は課長の「イス」を容易に増やすことはできません。そうすると、係長が長期間滞留することになるので、係長のモチベーションを心配し、会社は係長の中で優秀そうな人に「資格」色の強い課長代理という「呼称」を与え、給与を少し上げてモチベーションを維持しようとするのです。

終身雇用的慣行を踏襲している比較的大きな日本企業では、採用した社員を38年かけて育成していくことが一般的なため、「上」が詰まりやすく、通常、タイムリーに優秀な人材を登用することが難しくなります。そのため、課長が異動になれば課長代理が課長になるというように、「順送り」で段階的なステップを踏む登用になりがちです。実際、係長の中の優秀そうな人は課長でもすぐに十分役割を果たすことができる可能性が高いのですが、「上」が詰まるため「順番待ち」していることが多いのが実態といえます。そして、「順番」が来て課長に上がれば、規則や法令違反などよほどのことがない限り職を解かれることは少なくなり、その結果、「一度上げたら降ろすのはかわいそう」という考え方と感覚が一般化することになります。本質的には、終身雇用的慣行による「上詰まり」が「順送り」的登用に繋がっているのですが、実際の職場では、課長としてできそうかどうか「様子を見ている」という考え方に転じてしまっていることは大変興味深いです。

一方で実際のところ、折角「様子を見た」のに課長にしてみるとパフォーマンスが良くないケースもあります。しかし、降ろす(=職を解く)のはかわいそうだという考え方が災いして結果的に、「えっ、どうしてこの人が課長なの?」と感じる人が課長の「イス」に座り続けるケースがあるのも事実です。

このようなケースの本質的な原因は、「降ろしたいが降ろしてしまうと、自分のマネジメント力や育成力が低いと評価されてしまう」と、上司の部長が感じてしまうことなのです。だから、部長はこの課長を育てようとするのですが、最大の問題は「明確な期限がない」ことです。自分が上司でいる間は直接「手を下したくない」ので、「育成中」という言葉のもとで、ズルズルと自分の後任者に引き継いでしまうことが実際は多いと思います。確かに部下を育てることは上司の役割ですが、合意した改善課題などを「基準」に「期限を設けて」育成し、ある時点で、良し悪しを明確に判断することこそが、上司としての重要な役割であり責任です。「降ろすのがかわいそう」というよりも「自分の評価が下がるのが怖い」という心理の方がより強く働いているのが実情でしょう。

さて、海外拠点では何が起きているのでしょうか?海外は日本と違って終身雇用的な慣行がないのですが、日本人駐在員の多くは日本で結果的に「常識化」している「様子を見るべき」という考え方で現地人材に接してしまっていることが大変多いと思います。

課長の「イス」が空いているにも関わらず、日本人部長がある優秀な中国人を副課長にとどめている状況での興味深い実際の対話です。
日本人:「□□の点は成長しましたね。課長で期待されていることがひとつずつ着実にできるようになってきていると思います。課長まであと一歩ですね。課長は他に○○と○○ができなといけないので、これらができるようになってきたら課長にしてあげますよ!頑張ってくださいね!」
中国人:「課長になるためにもうずいぶん努力して頑張ってきました!課長にしていただければ、私、○○と○○がすぐにできるように頑張ります!」

 サッカーのJリーグでは毎年J1の下位2チームとJ2の上位2チームが自動的に入れ替えに
なりますが、折角J1に上がれても翌年下位2チームに入ってしまえばまたJ2に降りなければな
らない厳しさがあります。特に海外拠点でのマネジメントの場では、毎年ではなく数年の時間軸
の中で「入れ替え」は十分ありえる前提で登用することが大切だと思います。なぜなら、その方が
組織に緊張感が生まれますし、日本人と違って、そもそも現地人材にはこのようなリスク意識と感
覚が十分あるからです。

「会社」をアピールすれば優秀な現地人材を採用できる?

世界で活躍する日本人リーダーの現場行動
~思考と行動をアップグレードする~

第32回
「会社」をアピールすれば優秀な現地人材を採用できる?

 日本企業の海外拠点で経営層の日本人から「現地人材のレベルが低くて困っている」という相談を受けます。具体的には、言われたことしかできない、提案できない、何度も同じミスをする、ことがその理由です。実際のところ、現地人材を十分に育てることができていない実情もありますが、現地人材のレベルが本当に低い場合もあります。

日本でも海外でも、優秀な人材を採用できるかどうかは市場での人材マーケティング次第です。売り手が「企業」で、買い手が市場の「人材」だとすると、売り手の売りたい「コンテンツ(=内容)」が買い手の「ニーズ」に合ったときに、はじめて「縁」が生まれます。

 日本ではバブル崩壊後、終身雇用の「形」は変化してきましたが、その慣行は企業社会の中で根強く残っています。そのため、労働市場の流動性は依然として低く、大企業を中心に一般的なビジネスパーソンは「ひとつの会社で長く働く」傾向が強いですし、それを「良し」とする社会的通念もあります。景気が低迷し、雇用不安が高まると、日本の大企業は雇用の維持と安定を社会から一層求められ、一方で、主要大学の学生をはじめとする市場の人材は、安定性の高い大企業に一層目が向くことになります。そして、多くの人材は「自分が何をやりたいのか?」よりも「どの会社に入るか?」を探求することになりますので、企業にとっての人材マーケティングツールは会社の「安定性」「認知度」「成長性」になるのです。

 他方、海外では、そもそも終身雇用的慣行はありませんので、労働市場の流動性は高いです。特に経済成長の著しい中国、アジアの新興国では、市場の人材にとって重要なことは、「企業に雇用され続ける」ことではなく、「自分の価値を高める」ことです。自分の価値をより高めることができそうな場や機会を求め転職することはごく一般的なことですから、転職には社会的にもネガティブなイメージはありません。このような社会で企業が優秀な人材を惹きつけるためには、自社の「人事マネジメント」を人材マーケティングツールとして活用することが重要になります。特に、評価と報酬を決める「人事制度」とスキルアップのための「教育制度や教育機会」が市場の人材の大きな関心になります。

 このような違いがあるにもかかわらず、日本企業の海外拠点での人材マーケティングは、多くの場合、日本社会でのツールで勝負に出ているのが現状なのです。「就社」ではなく「就職」しようとしている現地市場の人材に対して「会社」をアピールしても、向上心にあふれた優秀な人材は振り向いてくれません。逆に、雇用され続けることを好む、安定志向の強い人材、つまり、どちらかというとあまり優秀ではない人材が集まってくることになってしまうのです。日本ではこのような人材の多くは知的レベルとしては優秀層ですが、海外では決してそうとは限りません。海外拠点での人材マーケティングの現状を見る限り、海外の日系企業で働く現地人材のレベルが低くなってしまっても仕方ありませんし、当然の帰結ともいえるのです。日本の常識をそのまま海外に持ち込むと、想定外の事態を招くことになってしまうのです。

 では、現地社会の優秀人材を採用するために、単純に人材マーケティングのツールを変えて、発信するコンテンツを変えればよいか?というと必ずしもそれが自社の求める状態を実現する手段になりえないケースもあります。海外拠点の日本人幹部に「この国の優秀人材が御社で本当に必要なのですか?」と聞くと、必ずしも回答が「はい」ではない場合があります。「優秀人材」という言葉に振り回されることなく、組織の様々な階層や役職において、どんな仕事をしてどんな成果をあげて欲しいのか?だから、どんな人材を求めるのか?を今一度整理し、有効性の高い人材マーケティングを実行することが大切だと思います。

成果主義“風味”

世界で活躍する日本人リーダーの現場行動

~思考と行動をアップグレードする~

 

第31回

成果主義“風味”

 

 日本の大企業の多くは、「成果主義」という枕詞がつく人事制度のもとで「目標管理」を行っています。その中で、部下は上司との面談を通して目標を設定することになっています。このプロセスを経験している多くの管理職と一般社員の日本人へいくつかの質問をすると大変興味深い回答が返ってくるのです。

 

『目標設定シートで上司と合意した目標の達成度合いで自分の評価は何%くらい決まっていると思いますか?』

「30%くらいだと思います」※個人差はありますが平均すると約30%です。

『では残りの70%は何で決まっていると思いますか?』

「・・・好き嫌い?」「・・・上司(たち)の主観?」「・・・態度?」「・・・曖昧な表現の考課基準?」

「30%や70%に関係なく評価結果は初めから決まっているのでは・・・?」

『自分の評価に30%しか影響していないと感じる目標設定シートを毎年どうして“まじめ”に書いているのですか?笑』

「会社で決まったことですから・・・」「みんなが書いているので・・・」

『自分の評価結果に不満を感じたことは過去にありましたか?』

「はい・・・」

『そのようなとき、上司に説明を求めましたか?』

「いいえ・・・」

『どうして上司に聞かないのですか?』

「聞くと自己主張が強い変な奴だと思われるからです・・・」「俺も我慢してきたんだからお前も我慢しろ!と言われそうだからです・・・(大笑)」

 

終身雇用的慣行がベースにある多くの日本企業では、「雇用の保障(今や完全とはいえませんが・・・)」の対価として「評価は個人の手の届かないところで会社が決めるもの」「不満は表現せず我慢するもの」というのが社員の一般的な受け止め方であり常識的な感覚になるのです。一方で上司は、評価結果を明確に表現すると、部下との関係や組織内の人間関係がギスギスしてしまうことになるので、出来・不出来が明確になるような「基準」を明確に設定することを避ける行動を無意識のうちに習慣化させることになるのです。この現象は、終身雇用的慣行をベースとした「平和」を尊ぶマネジメントスタイルといえます。

 

しかし、このスタイルは海外では機能しません。上司と合意した「目標」の達成度、会社で設定されている「(現場感にフィットした)行動指標」の発揮度合など、相互に確認が可能な「評価基準」に基づいてほぼ100%評価されることを現地社員は実際に強く望みます。これは終身雇用的慣行がない海外の現地人材がもつ常識的な感覚です。上司の多少の「裁量」を考慮したとしても90%以上という感覚でしょうから、日本人にとっての30%とは感覚的に大きな隔たりがあります。上司と確認した「評価基準」が自分の評価に30%しか影響しないのであれば、評価基準を上司と確認する(例:目標設定シートで目標を設定し合意する)行動を現地社員が誰もとらなくなってもおかしくありません。

 

海外で働く日本人駐在員は、日本の「30%感覚」を海外に持ち込み、この「日本的感覚」で現地人を評価していることが多いです。当然、現地社員は評価結果に納得できないことが多いので、日本人と異なり、自分の日本人上司に説明を求めます。しかし、日本人上司は「会社が決めたことに疑問や不満を表明することは不適切だ、けしからん!」「評価結果を黙って受け止め自分に何が足りなかったのか?を自ら考えることが先決!」と本能的に感じてしまうことが多いのです。

 

多くの日本企業が導入している「成果主義の人事制度」は、達成する成果を明確にしてその達成度を評価するというごく自然であたりまえの「本来の成果主義」ではなく、実態としては、終身雇用的慣行に適応させた「成果主義“風味”」なのです。このような「違い」の事実認識にもとづき、日本人が海外の現地人材に対して適切な行動をとることができるようになるための「学びと気づきの機会」を創ることが、日本人のグローバル化教育における今後の大きな課題だと思います。

「人を大切にする経営」 ~日本的思想、世界的思想~

世界で活躍する日本人リーダーの現場行動

~思考と行動をアップグレードする~

 

第30回

「人を大切にする経営」 ~日本的思想、世界的思想~

 

 我々は日本企業だから、海外でも「人を大切にする経営」をしなければいけない。多くの日本人はこの思想に違和感を抱くことは少ないです。なぜなら、多くの大企業の日本本社においてこの思想が一般的だからです。

 

世界経済の低迷と日本市場の停滞の中、今、われわれ日本人は「人を大切にする経営」の意味を改めてよく考える必要があると思います。

 

バブルが崩壊する1991年までは、オイルショックの時期を除けばおおよそ景気がよく、日本企業の業績は毎年向上し組織も拡大していました。その流れの中で、終身雇用が定着し雇用の継続と保障が維持されてきました。パフォーマンスが悪い社員でも家族の一員のように周囲の社員から助け支えられ、報酬面でも他の社員と大きく差がつくこともありませんでした。そして、基本給が毎年上昇することは社員にとって当たり前のことで、皆が平均的に幸福と安心を感じていたのでした。これこそが、日本企業にとっての「人を大切にする経営」の実態だったのです。

 

バブルが崩壊した後は、リストラという名のもとで、早期退職優遇制度、55歳役職定年制が粛々と実行され、定年までの雇用維持と給与上昇の原則は崩れました。成果主義のもとでは、解雇規制があるため退職勧奨と解雇までは及びませんが、以前の「平等的感覚」は崩れました。その結果、精神のバランスを崩す人、リストラされて自殺する人などが増え、ひとりの人間としての「生きる力」を弱めてきたのは明白な事実です。にもかかわらず、従来の「人を大切にする経営」の思想が感覚的に残っているのは不思議と言わざるを得ません。

 

他方、海外拠点の日本人マネジャーは「日本本社の思想」と「現地拠点での実情」の狭間で悩みますが、サラリーマンゆえ、日本本社の思想に傾いてしまうことが多いように感じます。「冷たい人」と思われたくない心理が働くのでしょう。具体的には、海外拠点でも、できが悪く成長見込みがない現地社員を解雇しない、現地社員の給与に差をつけない、毎年少しでも給与を上げる、昇格させた社員は降格させない、というような行動をとることになるのです。

 

海外拠点の日本人がこのような人を大切にする「優しさ」を是として行動し続けると、経営体力は低下していく可能性が高まります。まず、できの悪い人材が滞留し、それに疑問を感じる優秀な人材が呆れて退職することになります。次に、できの悪い人材の人口が多くなり成果の質と水準を低下させることになります。それを低下させないためには日本人駐在員が体を張って頑張るしかなくなってしまうのです。一方で、彼らの給与が上昇することで成果に不相応なコストが増大することになるのです。

 

世界では、会社は社員のパフォーマンスを合理的に評価し、成果や行動面で成長見込みがなければ退職勧奨します。つまり、人材を適切な基準に照らして見極め「選別」するのです。社員も、自分が描くキャリア形成に相応しいと感じる場所を「選択」し続けるのです。それに対して、日本では、会社は「選別」せず、社員も「選択」することが少ないです。そして、この論理と実態が組み合わさって、日本企業の海外拠点では、できの悪い社員を「選別」せず、できる現地社員に「選択(=退職)されっぱなし」という現象が起きてしまうのです。さらに、日本人駐在員は「選択(=退職)される」ことを憂い嘆くか、ぼやいて批判することが多いのです。日本企業でも海外では、向上心があり優秀な人材になればなるほど「選択」する行動をとることは一般的なのです。

 

「人を大切にする経営」の“世界的思想”をあえて定義してみると、自分の目標を強く意識させ、能力と適性の現状を適切な評価を通して正しく認識させ、GAPを埋める機会と支援は提供するものの、成長の可能性を“時限的”に見極め選別する経営といえます。つまり、結果的に自己責任でキャリアを形成させる経営、社員ひとりひとりの「生きる力」を最大化させる経営、といえるのではないかと思います。

 

経営環境がすでに大きく変化している中、「人を大切にする経営」の“日本的思想”の意味をよく理解せず、感覚的に盲目的にこの思想を海外拠点に持ち込むこと、あるいは、本社から海外拠点にそれを求めることは大変リスクの高いことだと思います。

質問に“答えてくれる”日本人、“答えてくれない”外国人

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第29回

質問に“答えてくれる”日本人、“答えてくれない”外国人

 

「現地社員は聞かれていることに答えないんです!YESかNOで答えてほしいのにいろいろと話し出すんです・・本当に困ります。どうすればいいんでしょう?」という相談をよく受けます。確かに、日本人と現地社員の間でこのような現象が起きている場面をよくみかけますが、相手の「知力」に問題がない限り、日本人の行動が大きな原因になっていることが多いのです。

 

日本人は質問するときに、相手に気を遣いすぎるため、質問をはっきり表現しない傾向があります。これは、表現習慣の問題です。ただ、表現習慣を変えるには日ごろとは違う頭の使い方をしなければいけませんので努力が必要です。

 

たとえば、「○○は○○だったと思いますが・・・そうでしたよね?」と聞きたいところ、語尾の「そうでしたよね?」を無意識のうちに呑み込んでしまって表現しないか、はっきり発音せずにフェードアウトしてしまうか、どちらかのケースが多いです。

 

相手が日本人であれば、「○○は○○だったと思いますが・・・」と表現しているときの表情や言葉のトーンから、その後の「表現していない質問」である「そうでしたよね?」を推察してくれる可能性が高くなります。さらに、答えとしてYES、NOのどちらを求めているのかも推察してくれます。YESを求められていると感じたら、肯定表現で答えたうえで、相手の期待以上のことを伝えようと答えを追加することが多いです。他方、自分の答えが求められていることと違う場合は、相手の気分を害さないように言葉を選びながら表現することになります。

 

一方、相手が現地人材の場合、さらに、通訳を使っている場合は、残念ながら、「○○は○○だったと思いますが・・・」しか伝わらなくなってしまうのです。そうすると、現地人材はこの表現を「質問」ではなく相手の「意見」ととらえ、自分の「意見」を求められていると感じることになります。そして、自分の意見や考えを話し始めるのですが、相手の「期待」には応えていないことになるのです。仮に、最後に質問が表現されていても、前段の話が長いと、その話の内容が重要だと感じ神経がそこに集中してしまい、最後に表現された質問が「軽視」されてしまうことさえあります。つまり、結果的に、日本人は質問している“つもり”でも、相手が外国人の場合はそのように受け止められていないことが多いといえるのです。

 

一般的な日本人が手を挙げて「質問なのですが・・・」と話しはじめた内容を聞いていると、感想や意見が多く、「いつになったら質問を表現するのだろう?」と感じてしまうケースが大変多いです。私が会議をファシリテーションする場合、参加者に対して、発言するときには「意見」「提案」「質問」のどれなのかをはっきりしてもらうよう促すようにしています。新興国で通訳を使う場合は、特にこの点を明確にしないと通訳も困ってしまい、結果的に誤解を生む可能性が高まります。

 

まず、意見は意見、提案は提案、質問は質問、と切り分けて話をすることが大切です。次に、質問はYESかNOの答えを求める質問か、あるいは、相手の考えや感じ方を求める質問なのかスタンスをはっきりさせることが大切です。そして最後に、質問はできるだけシンプルにそして語尾まで明確に表現することが大切なのです。このような思考と表現習慣を身につけると、「現地社員は質問に答えていない!」というストレスは激減するはずです。

 

多くの一般的な日本人は、相手が質問に答えていない!と感じたとき、「あなたは質問に答えていません。まず質問にきちんと答えてください!」と相手に言います。実はこの時こそ、「あなたは質問に答えていません。もう一度質問しますね」と言って、同じ質問、あるいは、意味が変わらない範囲で多少の言葉を足引きした表現で質問を繰り返すことが大変重要なのです。

 

質問している“つもり”の人は、同じ質問を繰り返し表現することができません。自分自身の質問表現の「特徴」を正しく認識し、そのうえで、相手にわかりやすい質問表現を身につけるための努力に励んでください!

「完全ではありませんが・・・」で始める日本人の表現クセ

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第28回

「完全ではありませんが・・・」で始める日本人の表現クセ

 

日本の企業社会では、会議で報告書を説明する場面や、あるテーマについてプレゼンテーションする場面の冒頭で、「まだ、完全ではありませんが・・・」「まだ、詰め切れていない部分も多々ありますが・・・」という「セリフ」を無意識に使う日本人が大変多いです。

 

この「セリフ」はオーディエンス(=聴衆)に年長者が多い場合は、日本的な「謙虚さ」として好ましく受け取られます。そして、「かわいいやつだ」「内容が少々粗くても大目に見てやろう」という聞き手の心理を誘うのです。逆に、この「セリフ」がないと、自信過剰あるいは傲慢であるという印象を与えてしまいます。そして、きびしい質問を受け叩かれてしまうのです。だから、説明やプレゼンの内容に自信があってもこの「セリフ」を使ってしまう日本人が多くなるのです。

 

しかし、この「セリフ」は未熟さに対する「許し」を請う表現でもあるので、この「セリフ」を頻繁に使っていると無意識のうちに「甘え」の心理が働き、考え抜く緊張感を緩めてしまうことにもなるのです。そうすると、内容が中途半端になりはじめ、徐々に自信がなくなり、結果、話を終えた後に質問や意見を受けることが怖くなり、その後の議論を避けるようになってしまうのです。

 

他方、海外で、オーディエンスが外国人の場合、この「セリフ」を使うと、オーディエンスが日本人の場合と違い、「自分で完全だと思える状態にしてから話して欲しい」「詰め切れていない話をわざわざ聞くのは時間がもったいない」というような印象を抱かせてしまいます。にもかかわらず、発表やプレゼンを続けると、(本人も認めているとおり)粗が多いという前提で嵐のように質問をうけることになります。場合によっては、最後まで話しができず、途中で「出直し要請」を受け、退散せざるをえなくなることもあるのです。

 

このように、日本的な「謙虚さ」が裏目に出ると、自分の価値を下げてしまうことになります。一度、想定外に落ちてしまった自分の価値を取り戻す努力に要する時間は、残念ながら無駄な時間です。このような状態に陥らないためにも、オーディエンスが外国人の場合は、日本的謙虚さを表す「セリフ」を使わず、「考え整理してまとめたことをお話します」とさっと切り出し、堂々と自信をもって話をすればよいのです。そして、話の締めくくりに、「以上で発表は終わりですが、ご質問やご意見がありましたら、遠慮なくおっしゃってください」「率直な議論ができればと思います」と「謙虚に」言えばよいのです。そうすれば、通常は、フェースTOフェースあるいはメール上で率直な質問や意見が飛び交い、結果的によい議論が起きるものです。

 

世界仕様の「謙虚さ」とは、話を聞いてもらった「後」に、質問だけでなく、異論、反論も含めて率直な意見を受け止め、オープンに議論する用意と余地があることを伝えることなのです。プレゼンの場だけではなくメールでもしかりです。このような世界仕様の「謙虚さ」を表すメールでの表現としては、英語であれば“Please do not hesitate to contact me if any other ideas
and thoughts”というような表現例が一般的です。このような表現が加わってない場合は、外国人でも世界仕様の「謙虚さ」に欠ける人だと思います。実際のところ、そのような人はいます。苦笑。

 

日本人が外国人と対等に対話し仕事をするためには、世界仕様の「謙虚さ」を身につけることが大切です。最初に「謙虚さ」を示すことで異論、反論を受けることや議論を避けていてはいけません。伝える内容の論理と構成をしっかりと考え抜き、自信をもって話した後で、反対意見も賛成意見も想定したオープンでフェアーな議論をする「謙虚さ」を身につけることが、日本人にとっての今後の大きな課題でありチャレンジともいえるでしょう。

「はい、わかりました」の幻想

世界で活躍する日本人リーダーの現場行動

~思考と行動をアップグレードする~

 

第27回

「はい、わかりました」の幻想

 

日本人同士の会話の中で、部下が「はい、わかりました」と言えば、通常、上司は「きっと依頼したとおりのアウトプットを出してくれるだろう」と期待します。依頼内は必ずしも明確でないことが多いですが、おおよそ期待イメージに近いアウトプットが出てくる可能性が高いです。しかし、相手が現地人材ですと、アウトプットを見て愕然とすることが案外多いのです。

 

海外拠点の日本人駐在員が、「先週話したとき、「はい、わかりました」と言ったよね!でも全然わかってないじゃない!?これはお願いしたことと随分違いますよ!」と現地社員を叱っている場面をよくみかけます。

 

現地社員が「はい、わかりました」と答えたのは事実ですが、実は、現地社員の「はい、わかりました」には3つのケースがあるのです。

 

1つ目は、依頼、指示、期待されたことを本当に理解できているケースです。このケースでは、日本人駐在員に叱られることはありません。一般的な日本人駐在員から「無言のうなずき」でアウトプットを認知してもらうことになりますが、グローバル人材の日本人駐在員からは「○○はよくできたね」「○○はいい仕事だね」という具体的な褒め言葉をもらうことになるでしょう。

 

2つ目は実際のところ最も多いケースです。

日本人駐在員があれやこれやといろいろ話して伝えようとしている場合、現地社員は「きっとこういう内容をお願いされているのだろう」と自分なりに解釈して「はい、わかりました」と返事してしまいます。自分の解釈に不安がある場合は確認の質問をすることもありますが、そうでなければそのまま時間が流れてしまいます。通常この場合、日本人の「期待内容」と現地社員の「解釈」にズレが起きてしまい、日本人が「えっ!?」と感じるアウトプットが出てくることが多くなるのです。

また、日本人が「簡潔な言葉」あるいは「抽象度の高い言葉」で言葉数少なく伝えた場合は、「言葉は理解できた」という意味で「はい、わかりました」と返事していることが多いです。しかし、この場合、「言外に含まれること」がたくさんあり、それらが言葉で表現されていないため、通常は「もの足りない」アウトプットになり、結果的に「期待内容」とズレが起きてしまいます。

このようなことを避けるためには、日本人が適切で正確な言葉を選択し「期待内容」を論理的にわかりやすく表現することができるようになることが必要です。ただ、その状態にたどり着くには個人差もあれば時間もかかりますので、現実的な対策が必要になります。

日常的に可能な現実的な行動は、相手が「はい、わかりました」と言ったときに、「わかったことをちょっとしゃべってみてくれますか?」「わかったことを白板にちょっとまとめてみてくれますか?」と言ってその場で確認してみることです。相手の理解が不十分なケースが多いことに案外気づかされるはずです。このような質問をすることは相手が日本人ですと少し躊躇してしまいますが、相手が外国人なら、「お互いわかり合えなくて当然」という前提がありますので、特に遠慮せずに質問して確認する方がよいのです。

 

3つ目は、常日頃、日本人駐在員から上から目線でガミガミ言われている中で、現地人材が日本人駐在員を感情的に受け入れられなくなり、早くその場から退散したいと感じているケースです。このケースの「はい、わかりました」は、「はい、(あなたが上長として執拗に命令をしていることは)わかりました」という意味で、期待されている「内容」がわかったということではないのです。この場合、会話がかみ合う確率は極めて低くなりますので、まずは、「自責」で感情の「もつれ」を解く努力をしなければいけません。

 

現地社員が「はい、わかりました」と返事したときには、3つのどのケースなのかを見極め、自分がとる次の行動を決めることが大切なのです。

海外でも「異動」はあたりまえなのか?

世界で活躍する日本人リーダーの現場行動

~思考と行動をアップグレードする~

 

第26回

海外でも「異動」はあたりまえなのか?

 

日本の会社では通常、定期あるいは不定期の異動発令があります。この異動オペレーションは誰も不思議に感じないほどあたりまえのこととして粛々と行われています。しかも、会社の意思で実行されています。したがって、異動先は、社員にとって必ずしも移りたい職場、職種、関連会社、国とは限りません。しかし興味深いのは、社員は自分の意に反する異動であってもほとんどの場合、辞令を受け取ってしまうのです。

 

このような社員の無意識の行動には、日本企業ならではの根本的な背景があるのです。それは、終身雇用的慣行の下で「就社」している社員と会社の間の“黙示的な”ギブ・アンド・テイクの構造です。具体的には、社員は会社から「雇用の保障」をギブされ、その対価として、「長期貢献」と「辛抱」を会社にギブするという構造です。この構造の下で働く社員が辞令を固辞するということは、そもそも会社から求められ、しかも、自分が承知しているはずの「辛抱」を放棄することを意味し、会社とのギブ・アンド・テイクの構造を崩すことになるのです。したがって通常、「就社」すると周囲の数々の「異動事実」を目にし、徐々に「辞令を固辞することは良くない」という考え方が刷り込まれ、気がつくと無意識のうちに、異動発令をあたりまえの“行事”という感覚で受け止めてしまうのです。その結果、「異動先に関わらず、その場その場で新しい自分を見つけて、自分の幅を広げなさい!」というセリフがもっともらしい響きとして聞こえ、違和感なくそれをあたりまえのこととして受け入れてしまうことになるのです。

 

海外でこのような「理屈」と「感覚」は一般的なのでしょうか?答えはNOです。したがって、このような「理屈」と「感覚」を海外に持ち込んで現地人材をマネージしようとすると、大きなリスクを抱えることになるのです。

 

終身雇用的慣行がない社会では、外国人は文字通り「就職」し、労働契約書をとおして、日本とは全く異なるギブ・アンド・テイクの関係を会社との間で築きます。具体的には、社員は会社から「役職とそれに相応しい報酬」をギブされ、その対価として、「相応しい成果」をギブするという構造です。海外におけるこの一般的な構造の中では、社員にとって会社は、社員の「やりたい仕事」ができるひとつの「場」にしかすぎないということです。さらに、会社の意思で仕事や職場を決められることに対してそもそも「辛抱」は求められていませんし、社員がそれを承知した上で就職しているのでもないのです。

 

「やりたい仕事」ができなくなる、あるいは、「やりたい職」がなくなれば、「やりたい仕事」「やりたい職」を変えずに、それができる「場所」を変えるのです。このような性質の行動を日本語では「転職」、英語では「Job Hopping」と表記します。一方、「やりたい仕事」や「やりたい職」を変えてでも別の組織への所属を優先する行動は「転職」ではなく「転社」であり、「Company Hopping」という表記が適切なのです。

 

海外拠点において、「貴方には会社の中のいろんな仕事を覚えてほしいので別の部門に異動してもらいます」という終身雇用的慣行を前提とした日本的感覚の表現は、類似性の高い仕事への異動を除くほとんどの場合、社内「転職」を意味しますので、現地人材にとって理解すること自体大変難しいのです。日本人駐在員の多くがこのような表現を無意識に使ってしまう背景にある現実は、異動発令の対象である現地人材のパフォーマンスが悪いため、別の部門に移すといういわゆる「玉突き異動」です。このようなケースでは、「異動」という姑息な手段よりも、正面から向き合って「評価が低い理由」を基準に照らして明確に説明し、段階を踏んで退職勧奨する行動の方が現地人材にはわかりやすいのです。

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